2012年5月17日 (木)

◆ やっぱり、我流より、プロに学べ

最初、レッスンプロに二回ほど見てもらって、その後我流で取り組んで見たものの、全く前進せず。
心を入れ替えて、ゴールデンウィーク前から、もう一度レッスンプロの指導を受けることに。
やはりプロはすごい。ていうか、プロに見てもらっていることで、「今ダメ」でも、こらえれば前に進むという確信が持てることがすごい。そうでなければ、ちょっとだめだと、自分をしんじられなくなって、右往左往してしまうだろう。
受験を、予備校にいかずに「宅勉」する奴は、偉いと思う。
てなことで、ちょっとずつ前進。漸く、ドライバーが当たるようにもなった。飛ぶとか真っ直ぐとかは、また別の問題であるが。
ゴルフが面白い、というよりも、この歳で、練習をすれば向上する、という事実が面白い。
もう暫く、頑張ってみよう。

◆ と言いつつも、とほほ

TBIのキャンセルが成立し、夏か秋にリベンジを、といったものの、夏の北海道のラリーも、今週月曜日締め切りのプレエントリーをしなかったことで、討ち死に。
かなり悩んだが、体調がすぐれなかったこともあって、気持ちが逃げてしまった。
秋の九州、も、無理だろう。あの世界に戻るためには、もう一つ別のきっかけがいりそうだ。
秋、可能であれば、バハのツアーにチャレンジしてみようか。ラリーではないが、新しいことであることには間違いない。
このまま今年、何もチャレンジしなかったら、このままズルズル行きそうで、ちょっと怖いのである。

9.世界を座標に固定した、デカルト

こうして、ニュートンの総合はすぐそこまでやってきました。けれどもニュートンの活躍に先だって、最後にもう一人だけ忘れてはならないビッグネームが存在しました。それがあのルネ・デカルトです。
デカルトは、「物質」と「精神」を分離する「二元論」で有名な、1596年生まれのフランス人です。私個人として、デカルトは「哲学者」で、自然科学とはあまり関係がない人だと長い間思い込んでいましたが、やはりこの当時のビッグネームには、現代のそういう常識は通用しませんでした。一つの分野に秀でた天才は、沢山の分野でも天才だったのです。とはいったものの、デカルト自身が、何かの法則を発見したのではありません。けれども、彼は法則発見の強力な「武器」を創造したのです。私達が中学校の数学で習う「座標」という考え方があります。この考え方を編み出したのが誰あろうデカルトでした。
「座標」とは、平たく言えば、空間をマス目に区切って、空間上の全ての場所に名前を与える考え方を差します。中学校の数学では、2次元の平面では「X軸」と「Y軸」、3次元の立体では「X軸」と「Y軸」と「Z軸」と言う呼び名でマス目が切られていたことを覚えているでしょう。このX軸とかY軸とかいったものさし上に番地をつけることによって、全ての場所に、(0、1、5)とか(ー2、6、3)とかという所番地が与えられることになるのです。これによって空間の全ての点に、数学上の数値を与えることができるようになりました。言い替えれば、この時をもって、「世の中に存在するあらゆる点は、座標上に固定された」という事が出来ます。
この「座標」という考え方の創造は、後の物理の世界に、計り知れない成果をもたらすことになります。もちろんそれ以前から、円とか四角とか三角とか、そういった図形を対象とした、現代では「幾何学」と呼ばれる数学の分野は、エジプト文明やギリシア文明までその歴史を遡り、存在してきました。同様に、「代数」と呼ばれる計算を中心とした技法も同じように古いものです。けれどもデカルトの登場までは、この二つの技法は、同じ数学というジャンルの中で一見関連しているようではあっても、やはり別々の領域の技法であることを超えることは出来ていませんでした。コペルニクスもケプラーですら、あくまで「幾何学の領域」で紙の上に「円」や「楕円」を描いて、「半径×π=円周」という枠ぐみの元でしか地球や惑星の軌道を考えることができなかったのです。
ところが、デカルトによってもたらされた「座標」という概念は、同じ「円」と言う図形に対して「x2+y2=1」という数式を当てはめます。「幾何学的」であったところの「円」が、「代数学的」な「数式」で捉えることが出来るようになり、それによって今まで別々の紙の上に独立して描かれていた図形同士が、一つの空間上に、数式という共通の言葉で比較することが可能になったのです。この成果無くしては、ニュートンはもちろん、その後の物理の世界のビッグネーム達の活躍もあり得なかったと言ってよいでしょう。そしていよいよニュートンが登場することになります。

2012年4月19日 (木)

12.エピローグ

さて。

その時まさに自分の後ろで崩れ落ちようとしていた波は、台湾沖に居すわっていた台風22号によって発生したものだった。中心気圧が930ミリヘクトパスカルというから、かなり大型の台風だ。この時期で22号の台風というと、例年並か、やや数が多いぐらいだろうか。
9月も20日を過ぎると、すでに夏の日差しは遠いものとなっていた。海上を吹く風にも寒さを感じるようになり、この前まで温かかった海水の温度もここ数日で随分と下がってきたような気がした。3ミリのシーガルでは、ちょっと風が強いと鳥肌が立つ季節だ。
動きの遅かった台風が、やっと西に向けて動きだした一昨々日さきおとといぐらいから、海岸にはうねりの気配が見えだしていた。しかし昨日の夕方遅く波のチェックに来たときには、セットの間隔はまだ長く、大きさもせいぜいコシムネと言ったところだ。
その後台風はジリジリとスピードを増して、北東へと移動を開始していた。昨晩の天気予報では、台風が進んでいく海域の水温はまだかなり高く、その勢力はさらに成長を続けるはずだとコメントしていた。
風速15メートル以上の暴風圏が半径700キロ、最大風速50mというから、そこから押し出されるうねりは、かなり大きなものであるはずだ。
天気図によれば台風の北東側には、特に目立った低気圧はなかった。ひとたび暴風圏を脱出したうねりは、風による妨害を受けることなく、リズムを整えながら日本列島の太平洋岸めがけて押し寄せてきているに違いなかった。このままでいけば、うねりの本体は明日の昼頃に到達する見込みだった。あさってになってしまうと、台風が近づきすぎてしまい、もはや快適な波乗りはできないだろう。チャンスは明日いっぱいと言うことになる。
とはいえ、足の速いうねりの一部は、早くも今朝からセットをもたらしつつあったのだ。

そのセットは、太陽が天中をこえ、そろそろと午後へさしかかりはじめた時にやって来た。大潮であるから、ちょうど潮が引き始めた矢先ということになる。
ロングボードにとっては完全なレイトテイクオフになっていた。しかしもはや躊躇している場合ではなかった。
パドリングをしながら、精いっぱいに上半身をそらす。ボードのテールは完全に跳ね上がっていた。すぐ右側では、既にリップが崩れ落ち始めようとしていた。
加速を付けてまっすぐに滑り落ちはじめたボードのノーズが斜面に突き刺さりそうになったまさにその瞬間、幸運にも私はボードのテールを踏み込むような形で立ち上がっていた。落下するボードから足が浮き上がりそうに思えた。髪の毛が逆立ち、両手は完全にバンザイだ。
腰が伸びきりながらボトムに着地したボードは、思ってもみない強い角度で左に回り込んでいた。ターンをする勢いで今度は膝が大きく曲がり、右足に重心がかかりながらしゃがみ込むような形になる。
波の斜面が左側からおおいかぶさるように迫ってきていた。しゃがみ込んだ姿勢から見上げると、リップははるか頭の上だった。斜面は、もはや壁のように掘れ上がりつつあった。
いったん膝を伸ばしてボードから体重を抜くと、今度は斜面の中腹をめがけて一気に駆け上がっていった。このまま行けば波の上に飛び出してしまう。
背後に波の圧力を感じながら視線をボトムサイドにやり、尻がかかとに着くくらい膝を曲げつつ上半身を右にふると、ボードは再び波の斜面を斜め下に向かって突進しだした。
視野の左10メートルぐらい前方まで、波のリップがしぶきを飛ばし始めていた。このままでは潰されてしまう。出来るだけ身を低くかがめ、右手はレールをしっかりグリップし、はるか向こうに見えるなめらかな海面に向けてさらに加速した。
「シーッ」
ドルフィンスルーの姿勢に入るショートボーダーの目の前を駆け抜けるとき、かみしめた歯のすきまから思わず息が漏れた。アドレナリンが体を駆けめぐり、きりきりと血管がしめあげられる。
ほんの数秒後、ボードは完全にブレイクを追い抜いていた。徐々に体を伸ばし、波の中腹を滑り落ちていく。左の肩越しには、ブレイクが少し遅れてついてきていた。
ボトムにたどり着くと、今度はゆるやかな弧を描いて右側に回り込んだ。反対側の斜面を滑り上がると、ブレイクはすぐそこまで迫ってきていた。膝を抱え込むように体重を抜きながら、カットバックをする。
もう一度グーフィーサイドに向かったとき、もはや波の圧力は比べものにならないほど小さくなっていた。波の高さはコシくらいに落ちつき、斜面の動きもいましがたまでの鋭さを失って、むしろむっちりと感じられるようにさえなっていた。体と気持ちが見る間にリラックスする。
・・・トト。
クロスステップでノーズめがけて歩いていく。左足がボードの先端にかかると、ボードの先端からシュワワワと音をたてて、両の手の平を広げたようにしぶきが飛び散った。
残念ながらわたしの波乗りの腕では、これ以上前に体重をかけることはできなかった。ボードがボトムに落ちてつんのめりそうになる前に、あわてて後ずさりをする。テールを踏みながらもう一度レギュラーサイドに回り込むと、目の前にはスープで真っ白なインサイドが広がっていた。
今日の波乗りはこれで終わりだった。もう一度ゲッティングアウトする元気はないし、仮にもう一度ラインナップに並んでも、今以上の一本が味わえるとは思えなかった。
そのままビーチサイドまで白い海面をまっすぐ下っていき、最後の最後、インサイドでもう一度盛り上がった波を利用して、レギュラー側に軽いアップスンダウンをした。

リーシュをテールに巻き付け、ボードを右脇に抱えてほのかに暖かい砂浜を防砂ネットに向かって登っていった。そして防砂ネットの切れ目を通り過ぎる時、今日の波乗りの余韻を記憶に刻み込むために、もう一度海を振り返った。
目の前に広がる海には、定規で引いたように、幾筋ものうねりがあとからあとから押し寄せてきていた。そしてラインナップでは、豆のように小さなサーファーが、右に左にテイクオフを試みていた。
いつも思うことであるが、この場所で振り返ると、例えそれがオーバーヘッドの波であっても、まるでスローモーションのように見えるのはなぜなのだろうか。
今日もそれは夢のように広がっていた。
明日は、どんなうねりがまっているのだろう。

※ このカテゴリーは、これで終了。

2012年4月16日 (月)

◆ 通勤、往復3時間も、悪くない。

先週、家族に勧められつつ、読んでいなかったミラショーン、じゃなかった、三浦しおんの「舟を編む」を、通勤の電車の中で読む。発表された、本屋大賞の受賞を受けて、追っかけ読書。辻堂〜東京、一往復半で読了。車中、笑と涙をこらえるのに困ったこまった(笑)
やっぱり、本はいいなぁ、と思う。iPadを持って以来、FaceBookは一日一回と決めていても、なんやらかんやらでiPadを見てしまう通勤電車であるが、面白い本や雑誌を手にすると、こっちの魅力を再認識。ネットは時間つぶし。書籍はエンターテイメント。似ているようで、ずいぶん違う。

みんな、辻堂まで通っていると聞くと、遠くて大変ですね、とよく言うけれど、そんなことはないんですね。面白い本がありさえすれば、往復3時間はそんなにつらくない。むしろ、雑誌か本か、はたまた原稿書きかネットサーフィンか。時間が足りないくらい。

この中で、なくなっても困らないのは、、、ネットかな。
自分、古い人間ですから。

ま、帰りの電車は、酔っ払って不覚の時も多いですけれど。いや、ほとんどそうか。

2012年4月 8日 (日)

◆ トホホな風景。

ゴールデンウィークのラリー、2度目のチャレンジとなるTBI(ツールドブルーアイランド)は、業務都合によりキャンセルしたことは、すでに書きました。一方、これまた業務都合で、ゴルフを始めたことも、既報。

Ts3g0416_5で、本日の、とある風景。この記事のカテゴリーは、果たして「GOLF」か「RALLY」か・・・。

ラリー装備満載のバイクで行く、ニキニキニキニキ二木ゴルフである。

先週の「大風」でバイクがひっくり返ってガソリンがオーバーフローしたので、エンジンがかからないかも、ということでエンジンをかけ、バッテリーの充電のために、ちょっと走ったついでに、二木ゴルフでお買いもの。

素振りが大切らしいので、マットを買いました。

でも二木ゴルフ。ラリー仕様のバイクで来たお客さんは、初めてだろうなぁ。

ちなみに、ゴルフ。甘く見てたけど、難しいのね。ちっともうまくならん。

2012年4月 3日 (火)

11.”TSUNAMI”CALLING

ここまではある程度規則的な波の現象についてその原因を説明してきたが、最後に、もっと特殊な波についても触れておこう。「高潮」と「津波」である。
高潮は、台風などの暴風と満潮が重なったときに発生する異常な潮位の上昇のことである。とは言っても、高潮による海水面の上昇はせいぜい数メートル止まりであり、それ自体が大きな被害を及ぼすことはない。問題はこれに強い風波が重なることである。高潮に伴う思いがけない波の力は、堤防を破壊し、船舶を岸辺に打ち上げる力さえ持っている。もちろん、こんな時に波乗りなぞ出来るわけはない。
そしてもちろん、あらゆるビッグウェイブの親玉である津波を忘れるわけにはいかないだろう。津波が地震によって引き起こされることは誰もが知っていることであるが、地震大国ニッポンの面目躍如、津波は「TSUNAMI」として、海外でも通じる世界共通語になっている。
津波は、地震によって海底が陥没したり隆起したりしたときに発生する。海底が急激に沈んだり盛り上がったりする事で、広範囲にわたって海水が移動し、その波が海岸に押し寄せて津波となるのである。いきなり海底に大きな穴が出来て水が流れ込み、チャッポンとなった反動で周囲に大きな波を送り出したり、隆起した部分の水がザザーと押しやられることによって、巨大なうねりが発生する。
津波の特徴は、そのひたすら長い波長にある。同じ5メートルの波高でも、ただの大波と津波とで被害の状況が全く違うのは、この波長の大きさが著しく異なることによるものである。
ひたすら長い波長は、非常に速い波の速度を生み出すことになる。このときの津波の速度は、隆起したり陥没した海底の水深が深いほど速く、水深200メートルなら時速160キロ、水深が5000メートルならなんと時速800キロにも達すると考えられている。
ものすごい勢いで海を突っ走ってきた津波は、陸地に近づいて水深が浅くなると、速度を落とす一方で波高が急激に高くなり、それに伴って、前方に移動する水量も飛躍的に大きくなる。場合によっては陸棚や湾との共振が起きたり、先行しておきた波の引き波と打ち寄せる波との共振も発生し、被害は甚大なものになることが多い。
津波の波長は非常に大きいため、沖合いではわずか1メートルの波高でも、沿岸部では軽く10メートルに達してしまう。近いところでは1993年の北海道南西部地震の際の利尻島で10メートル、古いところでは1933年の三陸沖地震の時の有明海で28メートルといった記録が残っている。
ちなみに25年ほど前に大ヒットした「ポセイドンアドベンチャー」というパニック映画で、豪華客船が津波で転覆するというシーンが出てくるが、現実にそうしたことが津波によって起きる可能性はほとんどあり得ない。沖合いを走る客船が転覆するようなうねりがあったとしたら、陸地での被害は想像もつかないほど大きなものとなってしまうだろう。どんなに大きな津波でも、沖合いにいる限り、ゆったりとした波長の波が通り過ぎるだけなので、体感することはほとんど出来ないはずなのである。現実に、今でも津波警報が出されると、湾内にいる船舶はあわてて沖合いに避難する。
もちろんポセイドン号が、津波の原因となった隆起や陥没の真上に位置していて、ポッチャンやザザーに直接巻き込まれていれば話は別であるが。
津波ほどの波長の波になると、そのうねりは太平洋を横断することさえ当たり前のように起こりうる。地震の揺れを感じないからといって、津波の危険が小さくなることは全くない。ごくまれに、波乗りをしている時に「津波警報」のサイレンが鳴ることがあるが、そうしたときには速やかに波乗りを中断すべきである。そしてもしもその津波の規模が大きそうであり、そのポイントが過去に津波の被害があった場所であるならなおさら、躊躇せず高台まで避難すべきである。
後悔は先に立たず。津波で波乗りをすることなど到底できはしないのだから。

2012年4月 2日 (月)

8.抽象を実在にしたガリレオ

ガリレオは、ケプラーに先立つこと6年、1564年にイタリアのピサで生まれています。ケプラーが学者として名をなした時には、既にひとかどの評価を得ていた存在でした。彼の残した多くの実績の特徴は、「実験」という言葉に集約されます。ガリレオの研究は、常に理論を実験で検証するという姿勢で貫かれていました。
それまで、物理的な世界の多くの理論は、卓上や討論における「思考実験」の上に成り立つ抽象的な存在でしかありませんでした。それに対してガリレオは、まず仮説に基づいて実験を行ない、その中からエッセンスとしての理論を導き出すという事を実践して行ったのです。つまり、それまで極めて抽象的な知識領域であった「物理的な世界」に対して、初めてガリレオが「実体」という価値を与えたと言っていいでしょう。ここでもケプラーとは違った意味での「物理」という領域の萌芽が見られます。「実体としての運動」、これは明らかに「数学的な世界」からの脱却です。
さて、肝腎のガリレオの成果と言えば、「落下の法則」と「慣性の法則」が有名です。けれどもそうした成果は勿論のこと、この法則発見の途上で、「単位時間」「速度」「加速度」といった単位が分離され、体系化されたことのほうが、物理の世界へより大きな影響を及ぼしたといってもいいかもしれません。「出来事を測定可能な成分に分割し、その組み合せによって記述を行なう」。そうした思考パターンの定着が、ガリレオによって初めてなされました。
また、「単位時間あたり」という尺度、正式に物理の世界に登場したのも、このガリレオの功績によるものでしょう。そもそも、私達が日常何も意識しないで利用している「速度(=距離/時間)」という概念は、改めて考えてみると不思議な考え方のような気がします。「距離」。これは比較的わかり易い尺度でしょう。日常の暮らしの中で「遠い」「近い」といった「距離」にまつわる感覚は、大変身近なものであります。2種類の「距離」があった場合、それらの比較をすることに、あまり困難は伴いません。一方、分母となる「時間」ですが、これははっきりした皮膚感覚に乏しいような気がします。「長い」「短い」という感覚は、人それぞれ、状況それぞれで異なり、もしも「時計」というモノサシがなければ、尺度として成り立ちにくい性質のものではないでしょうか。むしろ、あまり厳密な尺度を必要としない、曖昧な概念であるような気がします。
もちろん当時は、現代のような正確な「時計」などというものは存在していなかったわけですから、この概念をスケールとして利用するなどといったことは、随分と発想の飛躍が必要だったのではないでしょうか。おまけに、一見何の共通性もないように見える「距離」と「時間」を組み合わせる、などという思い付きには、やはり天才のヒラメキを認めないわけにはいきません。
こうしてみると、ガリレオのガリレオたる由縁は、有名な法則を導き出したところよりも、むしろその過程、つまり、「実験による法則の抽出」という姿勢と、「出来事の原因の分割と組み合わせ」という発想の導入にこそあったと言えるのです。そしてこの姿勢が、後のニュートンによる大きな総合へと結びついていくのです。
ところで、ガリレオには、忘れてはならない物理の世界における成果がもう一つあります。それは「望遠鏡」でした。望遠鏡を発明したのはガリレオではありませんが、その噂をいち早く聞きつけ、自分でレンズを磨き、自作の望遠鏡の筒先を大空に向けたのは、誰あろうガリレオその人なのです。彼はそこで、ただの土くれとしてのお月様や、惑星と恒星と衛星の区別、木星のいくつかの衛星や、太陽の黒点などを次々と発見しています。問題は、こうした事象の発見そのものではなく、この発見の背後に隠れる社会への影響力でした。
アリストテレスの体系や、キリスト教の教えは、地球こそ特別な存在だと教えています。地球こそ世界の中心で、月や惑星や恒星は、地球を中心にしてまわっている、これが絶対的な真理だったはずです。百歩譲って、太陽が中心だったとしても、地球こそは特別な存在でなくてはなりません。その特別な存在であるが故に、月という衛星を従える特権を持っているはずなのです。ところが、ガリレオの発見は、そうした幻想を真っ向から打ち砕きました。地球以外にも同じ様な惑星があり、そうした惑星には衛星さえ存在するではないか。月も地球と同じ土くれであって特別に神秘的な存在ではないのではないか。何と言うことでしょうか。いよいよ地球は「世界における唯一の存在」としての地位から、今にもこぼれ落ちそうになってしまったのです。
ここに至って、コペルニクスの提案した「地球は動く」というセオリーを最後まで否定していた枠ぐみは、もはや有形無実なものとなってしまいました。まさしく本当に「地球は動き出した」のです。

◆ 残念ながら。くっそー!

二度目の参加を目指し、10万円以上のチューニングを施したにも関わらず、今回のTBIラリーへの参加は断念せざるを得ず。
今春の人事異動に伴い、業務環境が変わり、どう考えても5月の連休に休みを取ることができない。一昨日、キャンセルの申し出をし、昨日受理される。
くやしーのである。ラリーは、スタートラインに立った時、99パーセントが終わっていると言ったのは、レジェンド菅原。そういう意味で、私のラリーは大失敗であったということだ。
夏の北海道、か、秋の九州で、是が非でもリベンジしてやる。

2012年3月24日 (土)

◆ 思いもかけずに

まだ練習を始めて間もないと言うのに、とある事情で、3日前に、会社のコンペに参加する事が決定・・・。翌日、ボールとティーを買い、翌日パターを譲ってもらい、翌日コンペ。あちゃぁ。

場所は、千葉の鶴舞CC。トーナメントが行われる難易度の高いゴルフ場だそうだ。しかも朝までの大雨で超重馬場。

結果?それは聞くまい。なんて言っても「コース初体験」だからね。ぶっちぎりのブービーメーカーである。でも、ボールは一つで終了。チョロ系、ってわけです。ま、進行に大きな迷惑もかけず、なによりなにより。

でも、思ったよりも面白い。というか、この状況でこの結果であれば、もう少し練習すれば、ちょっとはましになる可能性が感じられる。まぁ、超低レベルの話ではあるけれど。

でも、昨年のラリー参加と同様、初めての体験って言うのは、段取りがわからないので、結構冒険である。クラブハウスに入ってから最後に出てくるまで、どんな順番で何をどこでどうやればいいのか、まったくわからないわけであり。仲間に教えてもらうとはいえ、さすがにロッカールームの段取りなんてわからないしね。

これで一通り学んだので、次は少し緊張も減るであろう。

もっと練習をしなくっちゃ。

2012年3月23日 (金)

7.「物理学」の萌芽

さらに、ここのところが物理の歴史上で忘れてはならないことなのですが、ケプラーの「楕円軌道」は、「どうしてそうなるのか?」という視点を物理の世界に持ち込んでしまったのです。「円軌道」は、誰も疑うこともなく「当然の動き」として納得することが可能でした。ヒモのさきに石をつけて振りまわしでもすれば、誰でも再現することが出来ます。けれども、「楕円軌道」は、どのような理由でそんな動きをするのか説明すること無しには、どうも落ち着きが悪い現象なのです。
「どうして」。ここにケプラーの成果の、思いもかけない影響を見ることが出来るのです。
ところで、皆さんは「数学」と「物理」の違いを、簡単に説明できるでしょうか。中学校や高校の教科書を見てみると、物理の教科書は「数学的な記述(=数式)」で満ち溢れています。そこに書いてある数式(=言語)がわからなくては、とうてい物理の内容もわからない気がするでしょう。物理の問題を解くことと、数学の問題を解くことに、殆ど差がない気がしても仕方がありません。実際、物理の授業が進めば進むほど、数学と物理は分けることの出来ない領域に入って行くことになります。けれども、実際には、どこまで行っても数学の世界と物理の世界との間には、踏み超えることの出来ない一線があります。数学は、出来事の状態を正確に「描写する事」に役割があります。一方の物理と言えば、出来事が「どのような仕組みで発生するのかを説明する事」が、その本分なのです。言ってみれば、「惑星の運動は楕円軌道で書き表すことが出来る」という発想は、どこまで突き詰めても「数学の世界」でしかありません。もし仮に、「どのようにして楕円軌道が生じているのか」という問いかけを行なったとしたならば、それこそが「物理の世界」の発想だということができるのです。
つまり、ケプラーの成果は、あくまで数学的な領域での結論でしかなかったわけです。当然コペルニクスもそうでした。「星空の状態をこのように記述すれば、より正確に描写することが出来る」。全ての目的は、数学的な世界にあったと言ってもいいでしょう。そうした意味ではむしろ、アリストテレスの方が、「どのような」という意味での説明を与えていたということで、より「物理的」であったと言うことが出来るかも知れません。そして数学と物理明確に分離されていなかったこの時代までは、正確な意味での「物理の世界」は存在しなかったのです。物理の歴史というと、たいていの本ではアリストテレスあたりから話しが始まりますが、実をいうと、ケプラーまでの時代、世の中には「物理」という独立した学問領域は存在しなかったのです。
そしてケプラーは、あくまで「数学者」でした。自分の「楕円軌道説」が物理の世界への扉をあけるためのきっかけとなることなどは、全く意識することもありませんでした。けれども、好むと好まざるとか変わらず、アリストテレスからコペルニクスまで、当然のように受け入れられてきた「円運動」という安定した価値感に対して、真っ向から意義を唱えた事もまた事実なのです。これがひいては、ニュートンの革命へと続くわけですが、ケプラーの次にもう一人、ガリレオ・ガリレイについても触れないわけには行かないでしょう。

2012年3月18日 (日)

◆ ラリーに向けて、グリスアップなど

本日、TT250を茅ヶ崎の「オフロードワールド」に入庫。連休のラリーに向けて、主要可動部のグリスアップと、消耗部品のチェックを依頼。

いよいよ時間が乏しくなってきた。一方、週末はいろいろな用事でなかなか自由にならない。取りこぼしが不安である。油断大敵火がぼうぼう。大丈夫か。

2012年3月17日 (土)

◆ バイク雑誌『clubman 29号』。終わったのは・・・?

2009年9月に、288号をもって休刊となったバイク雑誌、「clubman」。最終号はまた別の機会に紹介するとして、今回はごく初期の29号をとりあげる。なぜか。

実はこの29号、1989年2月号なのである。

気がつく人はわかるだろう。月刊誌では、ここまでが「昭和」。3月号からは「平成」なのだ。つまり、この号は、『昭和の編集、最終号』ということになる。

Ts3g0407clubmaもちろん、昭和天皇のご容体が芳しくない時期だとはいえ、編集にその影響はない。普段のままの内容である。

ご存じのとおり、バイクは、80年代前半にブームを迎え、89年のこのタイミングではその余韻が強く残っていた。そうした中、小野勝司というスタイリッシュなバイク編集者がこだわりをもって発行していたのが、この「clubman」であった。

この号の特集でもわかるが、「clubman」は、レーサーレプリカとは一線を画し、シングルやツインエンジン、さらには趣味性の高い外車を中心に編集が組まれていた。

この号も、シングル・ツインエンジンのレーサーが特集されているが、今見ても、かっこよさ爆発。最近のサイボーグのようなバイクとは比べるべくもない。

当時の私は、シングルエンジンのYAMAHA/SRに乗っていたこともあり、そのエンスーとも言える編集内容に魅かれ、頻繁に購読をしていた。

とはいえ、まだ、お金もない時代。国産のSRが関の山。外車は夢のまた夢。ましてやレースに出ることなぞ、チャンスも無ければガッツもない。やがて仕事や子育てが忙しくなり、バイクからも離れ、趣味は「波乗り」という変節を遂げる。

がしかし。とあるきっかけで40代半ばで、ハーレーのスポーツターを購入。出戻りライダーとなり、これまた成り行きで、ミニバイクレースに参戦。さらには、オフロードのラリーにも出場。すっかり「趣味はバイク」になったのであった。

今思えば、89年の自分には、まさかそんな壮年期を迎えることになるとは、夢にも思わず。人間、きっかけと、ちょっとの度胸が有れば、なんとかなるもんだ。

表4のHONDAの「SPADA250」の広告に、アイルトン・セナがキャスティングされているのも、時代の象徴だろう。少しだけ陰りの見えたバイク市場。まだまだ人気のF1市場。セナは、そうした時代のアイコンであった。

そして、このころをピークとして、モータースポーツブームは坂道を転げ落ちるように凋落の一途をたどる。終わったのは昭和。でも、同時に、モータースポーツのバブルも、終焉を迎えるのであった。

国内のバイク市場。ピーク時の10分の1だそうだ。よく、崩壊せずに市場が残っているものである。他の商品なら、そうはいくまい。

◆ ゴルフクラブ購入

今日、ゴルフクラブを買った。キャロウェイのRAZER、カーボンシャフトの5-9、PW、SW、ドライバーはFIT。いずれも軽く、やわらかめ。パターとフェアウェイウッドはまた今度。ニキニキニキニキ二木ゴルフである。

まさか自分の人生、ゴルフクラブを買うとはなぁ。でも、レッスンプロからは、「慣れる意味で、早く買った方が良い」との指導。さらに、「ちゃんとやるなら、安い物は避けた方が良い」とも。

ということで、キャロウェイ縛りの中で、中くらいのシリーズか。

高い、ような気もするが、ちょっとしたバイクのマフラー程度、と思うとそうでもない気もする。

仮に15万円としよう。

ギターなら、結構良い物が買える。ロードレーサーの自転車なら中の下。サーフボードなら、まぁまぁか。

でもバイクだったら原チャリが関の山。

バイクって、そういう意味では、お金のかかる遊びかもしれない。

で、件のクラブ。

夜、練習場で打ってみたら、そこそこ、いいかも。

2012年3月14日 (水)

10.大潮、小潮

引力と遠心力の釣り合いのバランスの結果発生する潮の干満は、大部分を月と地球という二つの天体の位置関係で説明できるとは言え、細かく見てみれば太陽の影響を無視することができるわけではない。太陽と月の相互作用によって、潮の干満自体にも、約13.5日と27日のリズムが与えられているからだ。言うまでもないが、これが「大潮」である。当然大潮のとき、潮の干満の差は最も大きなものとなる。
月が地球の周りを回る周期は約27日である。27日かけて、月はぐるりと回って元の位置に戻ってくるが、この間必ず一回ずつ、太陽側に重なる場合と、地球をはさんで太陽と反対側に位置する場合がやってくる。言うなれば、太陽と地球と月が直線上に並ぶ瞬間が、一ヶ月の間に二度訪れるのである。「太陽−月−地球」という並び方が一回、「太陽−地球−月」という並び方が一回というわけだ。
3つの天体が直線上に並ぶと、当然二つの天体の引力と遠心力がぴったり重なり合い、最も強い力が地球に働くことになる。これが大潮の原動力となるわけだ。もちろんある大潮から6時間後の干潮は、最も引きが強くなることは言うまでもない。
3つの天体の位置関係を図に書いてみればすぐにわかることであるが、「太陽−地球−月」と並んだ場合には満月となり、「太陽−月−地球」という並びの場合には見かけ上真っ暗な新月になる。通常は、3つの天体がぴったり一直線に並ぶことはないが、ごくまれにそういう状況が訪れることがあり、この時3つの天体が「太陽−月−地球」の順で一直線に並べば、太陽は月の影に隠れるため「日食」が起こり、「太陽−地球−月」と並んだ場合は「月食」が起こることになる。
夜空を見上げて満月や新月が見えたその日は、必ず潮めぐりは大潮となる。もちろん日食や月食を見た場合も同様だ。大潮だからといって、いい波が訪れることと直接関係があるわけではないが、潮の変わり目の影響がいつもより大きく出る可能性は否定できない。また、満月の夜にはいろいろ不思議なことがおきやすいと言われるが(阪神大震災も満月の朝であった!)、これは月の見かけ上の形と言うよりも、むしろこうした力のバランスが最も大きくなることに原因があると言ってもいいのかもしれない。大潮の時には物理的にも、いつもと違ったフィーリングが訪れても不思議ではないのである。
ちなみに参考までに、潮めぐりについてもう一つ、わたしたちがあまり知らない現象に触れておこう。月は等しく地球に力を及ぼしているにもかかわらず、海域が違うと満ち引きの大きさが全然違うという事実である。
(月を見上げる角度が同じであれば)、場所によって月が地球に及ぼす力に違いはないはずであり、そうであればどこの海域でも干満の差に大きな変化があるはずはない。ちなみにもしも地球に陸地がないと考えれば、干満の差は、大潮のときに約78センチメートルになるはずだとされている。しかしながら実際には、日本の有明海最奥部では6.8メートル、カナダの某所では実に16.1メートルにも達する干満の差が存在する。こうした地域差はどうしておきるのだろうか。
答えは「共振」である。こうした特別な干満の差は、大抵の場合「湾内」や「陸棚」で発生する。湾や陸棚にはその形、深さに特有な「振動値」があり、この振動値と干満のうねりの周期がぴったり重なることによって、共振が起きるというのである。これも潮の干満を「波」として考えて初めて気がつく事実なのだろう。
新聞の気象情報を見ると、各海域における干満の時刻および潮位が示されているが、大潮の日の潮位を見ることによって、自分が波乗りをするポイントが、どの程度潮のめぐりと共振しているかがわかるはずである。もしも非常に大きく共振している場所であなたが波乗りをしているならば、潮の変わり目の影響も、人一倍強く感じているはずなのである。

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